街灯華やかな町中を、旅姿の青年が歩いて行きます。
ここは絽国が首都、曲埠。その中でも、一番華やかな大通り、絹金大路です。あちらこちらの店から、
客を呼ぶ呼び声が飛び、光とともに、食べ物の匂いと談笑する声が漏れてきます。夜も更けてきた時間ですが、
その騒がしいこと、真昼のよう。
いえ、この通りは太陽輝く昼よりも、夜のとばりがおりた今の方が眩しく、騒がしいかもしれません。
1歩、歩くごとにかかる客寄せの声。その声を無視して、青年は颯爽と歩いていました。その姿、
すらりと細身でなで肩の背に、こぎれいにまとめられた荷を担いでいます。背中の荷の上では、軽く束ねられた癖のある
髪が踊っていました。土に汚れてこそいますが、不思議と田舎の泥臭さは感じません。
慣れた様子で、路地を曲がり、ある店へ勝手口から入って行きました。向う先は、湯気がもうもうと上がっている厨房。
「よう、喜楽。久しぶりじゃあないか。生きていたのか?」
青年の姿を見つけて、調理人が声をかけます。青年は歩みを緩めると、その調理人に微笑みかけました。
「生きていたさ。今、旅から帰ったばかりだよ。急に老櫓(櫓おじさん)の顔が見たくなってね」
「馬鹿を言え。おだてたって、おごらねえよ」
そう言いながら、櫓は青年に蒸したばかりの饅頭を渡しました。
「これはうまそうだ。アリガトよ、老櫓!」
軽く手を振って、厨房から店へと抜けてゆきました。
「全くあやつは、今度は、何に追われているんだか」
後ろ姿を見送って、櫓が呟きます。彼が厨房を抜けるのは、今日が最初ではないようです。
青年は、姓が宗、名が仁。喜楽と言うのは字です。この街では知られた人物らしく、店を横切ると、
あちらこちらから声がかかりました。
「生きていたか?喜楽」
「鬼じゃあないよ。お前こそ、酒に溺れて逝っちまったかと思っていたぜ」
「何を、この!」
『寄って行かないか』という誘いを断わりながら、青年は店を出ます。そして、次の通りも横切って、また、路地へ。
幾つの路地を曲がったでしょうか。宗仁は一つの小振な店に入りました。
「喜楽。久しぶり」
迎えたのは、柳腰の女主人。宗仁が座った卓に、そっと茶を差し出します。
「お久しぶりです、虞小姐。明兄は?」
茶碗をおしいただきながら、宗仁は尋ねました。虞は手を頬に当てて首を傾げました。細い眉が、困ったように寄せられます。
「ごめんなさい。今晩、あの子は大華飯台のお座敷に呼ばれているの。早い時間に出かけて行ったから、
もうすぐ帰って来るとは思うけれど」
「ありがとう、ここで待たせてもらいますよ」
宗仁が答えると、虞はにっこりと微笑んで奥へ向かいました。
待つ事姑く。宗仁がちまきを食べていると、にわかに外が騒がしくなりました。
「お名残惜しいわ」
「私もです。ですが、もう、お帰り下さい。これ以上遅い時間になると、私は、奥様が無事、帰れたかどうかが心配で、
夜も眠れなくなります。それに、奥様が余りにも美人なので、私が攫ってしまうのではないかと、旦那様が心配しておいでのはずです」
キャーと言う黄色い歓声。
「内の旦那が、そんな心配するはずないわよ。それより、攫って欲しいわね」
「奥様、私がお気に召しましたのならば、また、お座敷にお呼び下さい。この明清華、奥様のお呼びでしたら、地の果てからも必ず、
奥様の元に参ります」
「まあ」
騒ぎは五分程続いたでしょうか。ようやく、走り去る馬車の音がして、静かになりました。
そして、騒ぎの中心人物が姿を現わします。すっきりと整った顔と赤みがかった短い髪。その赤にあわせた、朱色の衣装に身を包み、
曲がった大刀を手にしています。背は、宗仁よりやや低いぐらい。
惚れ惚れするような美丈夫ぶりですが、実は女性。姓は明、名は梨花。ですが、舞台名の明清華の方が有名です。
曲埠で一番の舞いの名手で、特に剣舞が得意。
女性だと思って見てみると、右目の下の泣き黒子に何となく色気があります。なんとも言えないその色気に、曲埠で明清華に恋しない
『女性』はいないと言われる程。
「相変わらずだね」
宗仁が声をかけると、明清華は宗仁に気付きました。自然な感じで同じ卓に座り、女主人から茶を受け取ります。
「ああ、生きていたのか?」
宗仁は肩を竦めました。
「今の所。それよりも、これを見てくれないか」
懐から出したのは、金色に光る簪。赤い珊瑚でできた花の上に、金細工の蝶が止まった姿をあしらってあります。素人目にも、
高価な物と分かる逸品。
「素敵な物だが、私には不要だな」
簪を光にかざしながら明清華が言います。
急に、明清華は視線を厳しくしました。珊瑚の影に、ねじり切ったような金の断面を見つけたからです。どうやら、もう一匹の蝶が、
その断面の先には付いていた様子。良く見ると、珊瑚の花の端にも傷が付いています。
「もちろん、明兄には必要無いのは分かっているよ」
戯けた宗仁を明清華は軽く睨みました。明清華の視線を笑顔で流す宗仁。
「その簪の持ち主は、可愛い女の子さ。可哀想に盗賊に捕われていた。連中が彼女の縁者を探し出す前に、明兄に見つけて欲しくてね」
明清華は顎で宗仁に話を促します。宗仁は茶で喉を潤してから、おもむろに口を開きました。
そのときです、小さな影が店を横切りました。
硬い物がぶつかる音。少年の剣を、明清華が自分の大刀で受け止めていました。
「妹を返せ!」
目を爛々と光らせ、肩で息をしながら、少年はまっすぐ明清華を睨みます。
簪の娘さんは、この少年の妹か。一人、納得しながら、宗仁は少年を観察しました。
その辺りの同世代の少年が着るような、質素な綿の上下を着ています。が、服はまだ新しく、そで口もまだ汚れていません。
持っている剣も、単純な作りながらも、しっかりと実のある、よく手入れされている物です。少年自身も、歳はまだ若いようですが、
街の子供とは違う、強い光が瞳に宿っています。見る人が見れば、高貴な身分だろうと想像するのは難しくありません。
何よりも、少年は簪の少女と良く似ていました。
「何のことだ?」
急に現れた少年と簪を結び付けることができず、明清華は呆然と聞き返しました。
「その簪は、他の誰でもない、僕の妹、陳蘭玉のもの。しらばっくれてもこの僕、陳陽任は誤魔化せられない!」
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