柔らかい春の光を含んで、空の色は穏やかな水色だった。その空を背景に一面、白い花が
咲き乱れる。虫達の羽音が眠りを誘う。 
 甘く薫る梨の花。ここは、陶家の梨園。 
 突然、金属の音が梨園中に鳴り響いた。連続するその音は、煽るように間隔が速くなる。鐃(シンバル)
の音に、鉦(かね)の音が重なり、更に、煽りに煽る。 
 とうとう、笛子の高い音が空間を切り裂いた。 
 ふわり、赤い髪が空中に広がる。 
 細身の双剣は銀の残像を残して、風を起こし、花を散らした。 
 ときには花吹雪を呼ぶかのように激しく。ときには虫の羽音が聞こえる程静かに。明清華は舞う。 
 春の光を浴びて、髪は炎のように赤く輝く。梨花の白に、髪の赤。それは、息を飲むような興奮の
渦に観客を巻き込み、春の嵐を作った。 
 最後の鉦が鳴る。明清華は剣を鞘に納めた。 
「明姐、素敵!」 
 盛んに拍手をおくるのは、陶家の一人娘、陶梨花。 
「これ程素晴らしい舞を私達だけで見られるとは。なんて贅沢なのでしょうね、貴方」 
 賞賛の言葉をくれるのは、陶夫人。 
「そうだな」 
 陶家の主人、陶澄明。 
「清華姐々に剣術意外の才能があるとは。天は2物を与えないと言うけれど、例外もあるんだな」 
「兼成様」 
 陶梨花にたしなめられたのは、陶梨花の婚約者の芳兼成。 
「お気に召していただき、ありがたく思います。それから兼成様、一応、私は舞で生活しています。
 決して、剣術家ではありません」 
 陶梨花が芳兼成を軽く上目で睨む。芳兼成はちらりと舌を出した。 
「あれだけの腕前を見せられて、剣術家じゃあない方が詐欺なんだよ」 
「こんなきれいな女性を前にして、剣術家だろうだなんて、酷い兼成様」 
 明清華は微笑んで、陶梨花の手をとった。小さな手、細い指。整えられた指先。磨かれた爪。 
「きれいな女性とは、梨花様のことです」 
 陶器のような肌。絹のような髪。濡れ濡れと黒い瞳。梨花は美しい女性を示すが、その花の名前を持つに
これ程相応しい女性を、明清華は見たことがなかった。 
 明清華の本名も明梨花だった。だが、同じ名前でも、自分と梨花はこんなにも違う。女性にしては高い
背。西方の血が混じった赤い髪。ソバカスのにじむ肌。糸目とも行かなくとも、決して「ぱっちりとした」とは
言えない目。そして、はっきりし過ぎる顔だち。踊りの練習で剣ダコができてしまった手。 
 明清華は陶梨花と自分を比べずにはいられなかった。 
 明清華と陶梨花との出合いは半年前。街に薬を買いに来た陶夫人と梨花へ、質の悪いごろつきが絡んだ。それを
たまたま明清華が助けたのが馴れ初めだった。その日以来、梨花は明清華に懐いた。 
「詩人ではない私は、梨花様の美しさを例える言葉が浮かびません。私はいつも、そのことで苦しい思いをしているのです」 
 明清華が言うと、陶梨花の頬に赤みがさした。 
「ありがとう、明姐。お世辞だと分かっていても、明姐に言われると嬉しいわ」 
「なんの、お世辞なものでしょうか」 
 梨花は恥ずかしそうに袖で顔を隠す。その仕種が、初々しさを感じさせる。明清華は思わず、微笑んだ。 
「明姐、梨花ばかり誉めて、私は誉めてくれないのかい?」 
 芳兼成が明清華へ抗議する。明清華は眉を上げて驚いた、という表情を作った。 
「おや、誉めて欲しいですか?」 
 あえて、明清華は尋ねる。芳兼成は頷いて胸を張ると、親指で自分を指差した。 
「そうですね。こんなに美しい婚約者と、こんなに素晴らしい御両親を持つことになる芳兼成様は、なんと幸せなのでしょうか」 
 ちょっと考えて、明清華が答える。芳兼成は驚きの表情を作った。 
「それでは、私を誉めているのとは違うよ」 
 大袈裟に溜息をつく芳兼成。 
「お花を下さいましたのは、陶家の方故」 
 片目をつむってみせる明清華。渋面で答える芳兼成。それを見て、陶梨花は笑い声を上げた。 
「兼成様、そんな顔をなさらないでください。普段の兼成様のお顔は素敵ですわ」 
 哀しそうな表情を作る芳兼成を、陶梨花が慰める。 
「それに頭もよろしくあられる。芳兼成様は今春、役人になるための試験に合格されたとか。おめでとうございます」 
 改めて明清華が跪き、頭を下げると、芳兼成は慌てた。 
「頭を上げてください、明姐。困ったな。明姐のような美人に改めて誉められると、こっちが照れてしまう」 
「で、しょう?」 
 覗き込むような顔で、陶梨花が尋ねる。明清華が上目遣いに芳兼成を見ると、芳兼成は眉を寄せていた。だが、
目は笑っている。視線が合って、訳もなく明清華は震えた。できるだけ冷静を装いながら、視線を下におろす。 
「美人などと、身に余るお言葉」 
 仰々しく頭を下げる。 
「だから、明姐に頭を下げられると、なんだかこそばゆい。どうか、お願いしますから、立って下さい」 
 心底、困った、という声で、芳兼成が言う。明清華は立ち上がると、そっと陶梨花の耳元に顔を近付けた。 
「私に頭を下げられると、後が恐くて仕方がないそうです。私は別に兼成様を虐めませんのに」 
 明清華が言うと、陶梨花は、鈴の鳴るような声でころころと笑った。仏頂面を作った芳兼成も、すぐに笑い出す。 
 梨園に幾つもの笑い声がこだました。 

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